今週から、着付け教室も予定通り、夏休みに入りました。
1601年徳川家康が、天皇家の守護の為に築城し、1867年最後の徳川将軍慶喜によって大政奉還がなされた、
二条城二の丸御殿黒書院三の間の、お部屋の中に入っての障壁画が見られる催しが、昨日から始まっています。
いつも京都に行くと、広い敷地の二条城の前を通り過ぎるばかりで、一度行ってみたい、と思っていたので、この機会に足を運びました。
東京・大阪とコロナ感染者が増えてきている中、不安が無くはなかったのですが、8時の開館前に駐車場に着くと、
まだ2台目。
外国人の観光客も全く途絶えていて、日本人客も広い敷地の中、歩いている人は僅か。
二の丸御殿のオープンまで、しっかり雨に濡れたお庭の散策をしました。
この時期なので、咲いている花は何も無かったのですが、立派な松を中心にした庭園の他に、梅の通り、桜の通り、
椿の通りがあり、茂った葉っぱに、それぞれの季節を思い起こしながら散策してきました。
いよいよ、御殿に入場。
二の丸御殿は6棟の建物からなり、江戸初期に完成した住宅様式である
書院作りの代表例として日本建築史上重要な遺構です。
江戸城、大阪城、名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に残る唯一の
御殿群として、国宝に指定され、1994年には、ユネスコ世界文化遺産にも登録されました。
内部は、日本絵画史上最大の画派である狩野派による障壁画と多彩な欄間彫刻や飾り金具によって装飾されており、将軍の御殿にふさわしい、絢爛豪華な
空間となっています。(パンフより)
来殿者が控える遠侍の間の壁画は獰猛な虎に壮大な竹との
空間からは徳川家の権力の大きさを実感させます。
式台の間から続く、大広間は、将軍と大名や公卿衆との公式の
対面所です。又、大政奉還が表明されたところでもあります。
荘厳な松の障壁がが施されていて、天井画も変わりました。
本日、本命の黒書院三の間まで進んできました。
当時は、小広間と言われたようで、大広間同様、一の間・二の間が、将軍と公家や大名が対面した場所で、三の間は控えの場所で
あったようです。
障壁画は長押の上と下で主題が分かれ、長押のしたは、松を中心に夏から冬へと移り変わる季節の景色が、上は松の林立する浜辺が
描かれている。
しばし、私もここに座り、当時を創造しておりました。
一番奥まった場所が将軍の居間と寝室であったと考えられる、
という事で水墨画に包まれる落ち着いた印象のお部屋でした。
廊下も広く、それぞれのお部屋の中の障壁画だけではなく、廊下の天井まで
唐花紋様が描かれています。
天井画は建造当時のもので、牡丹唐草の地紋、中央に唐草紋様を、周囲に4つの丸を配し、向かい合う2つの丸には、同じ意匠の唐花紋様が描かれています。
内部の見学の後、清流園にある茶房「和楽庵」でゆっくりと景色を愛でながら、お煎茶を頂きました。ここでは、鳥獣戯画の器でした。
今回、思い切って、京都に来てみて、外国人観光客がいない今が、穴場になってきたな・・・と思う事と、折角近くに住んでいるのだから、こういうゆったりした歴史上の場所を、もっと訪れたいな・・・と思いながら帰宅してまいりました。