2021年も、終わろうとしています。
今日は、加古川にある菩提寺に、今年最後のお墓参りに
行って来ました。
いつも、裏口から境内に入るので、正門の裏側に、風神雷神図が描かれているとは知りませんでした。
今日、初めて発見しました。
青龍山真福寺の門
昨年からのコロナ騒動は解決していませんが、何とか、着付け教室も、茶道教室も
コンスタントに続ける事が出来ました。
そして勿論の事、我が家は夫婦二人共、元気で一年を締めくくる事が出来そうです。
過ぎてみれば、今年もあっという間の1年でしたが、それなりに波風は起きていました。
前半は、私が、趣味のボーリングでスランプに陥り、苦しい日々でしたが、何度か
個人レッスンを受けて、今は、危なっかしいですが、スランプからの脱出課程に
あります。
後半は、島根県に住んでいる96歳になった実家の父が、いよいよ危ないかも・・・と
なってきて、繁忙期の仕事と重ならないかと心配をしましたが、回避出来た事が
何より奇跡的な出来事でした。
6か月前に着付け教室を休みと決めていた木曜日の朝に、父は息を引き取り、翌日の
金曜日は2か月前に、前撮りのお客様の予約が少ない事から、私だけ休みにしていた
日で、その2日間を使って、お別れの為の帰省が出来たのです。
母の施設の許可が出ず、私と母が会えない、という事で、私は告別式には出席せず、
金曜日のうちに帰阪してきましたが、土曜日からの仕事が待っている、という気持ちが
背中を押してくれて、帰って来る事が出来ました。
まるで、父に、「貴女は仕事をしてきなさい・・・」と言われたような気がして、
落ち着いて考えてみると、父から元気を貰ったような気持ちになりました。
しかも近年、夜の高速道路が怖くなってきていたのに、往復平気で運転していました。
これも、父が守ってくれていたのだと思います。
生きていた晩年は、会えなかったけども、亡くなってからは、よく夢にも出て来てくれるし、側で見守ってくれているのだな・・・と感じてきています。
12月の前撮りでは、20年近く一緒に仕事をさせて頂いてきた会社の方が来年早々の退職の為に、東京から会いに
来て下さり、又もや別れをしないといけない事になってしまいました。
色々、意見を聞いて下さり、有難うございました。
そして、私の鈴乃屋人生の大半に関わって頂き、お世話になりました。
こうして、お別れが続いて、まだまだ気持ちの整理もしっかりとは出来ていないうちに、
今度は突然に関東在住の友人の訃報の知らせが12月25日に飛び込んで来たのです。
還暦の記念に、これから先は、どんな事で会えなくなるかも分からないから、
会える時に、と言って関東からやって来てくれて、10名が我が家に集まり
同総会をしてから6年半。
本当に会えなくなってしまったのです。
スポーツウーマンで、一番元気そうだった彼女が、こんなに早く逝ってしまうなんて、
まだまだ信じられません。
その後、コロナが始まる直前に、関西に来てくれて、女性3人だけで、
仕事で行き慣れたホテルニューオータニで、食事をしたのが最後になりました。
今年の1月にも、電話で話をしましたが、今から考えると、その時も既に声に元気が無かったので、
私のどこかで気にはなっていたのですが。
しかし、こんなに早く逝ってしまうとは。
一報を聞いた時に、咄嗟に、私は彼女の分まで、きちんと生きなければいけない・・・と思っていました。
こういう感情が湧いてきたのも初めてでした。
後半は、こうして辛い別れが続きましたが、不思議な事に逆に私自身が生きていく為の元気も貰った気がします。
今は、この思いを来年にも繋げていきたいと思っています。